2009年06月16日

グラム陽性の球菌で、ホモ乳酸発酵をする

グラム陽性の球菌で、ホモ乳酸発酵をする。回腸、盲腸、大腸に生息している。フェカリス (E.faecalis) 、フェシウム (E.faecium) などがある。整腸薬としてビフィドバクテリウム、ラクトバチルス、エンテロコッカスの三者を混合したものもあるほか、エンテロコッカス・フェカリスEF-2001株 (E.faecalis EF-2001) を加熱殺菌した菌体の免疫賦活能力が高いとされる報告が見られる。

グラム陽性の球菌で、連鎖状ないし双球菌の配列をとる。狭義の「乳酸球菌」。ホモ乳酸発酵をする。牛乳や乳製品に多く見られ、これらを原料とした発酵乳製品に用いられる。L. lactis、L. cremorisなど。

グラム陽性の球菌で、4連球菌の配列をとる。ホモ乳酸発酵をする。ピクルスなどの発酵植物製品から分離されることが多い。P. damnosusなど。

グラム陽性の球菌で、連鎖状ないし双球菌の配列をとる。ヘテロ乳酸発酵をする。ザワークラウトなどの発酵植物製品から分離される。L. mesenteroidesなど。L. mesenteroides は、ワインのマロラクティック発酵を行う

乳酸菌は、さまざまな発酵食品の製造に用いられてきた。主なものとしては、ヨーグルトや乳酸飲料などの発酵乳製品、キムチや浅漬け、ピクルス、ザワークラウトなどの発酵植物製品、鮒寿司などのなれ寿司などが挙げられる。乳酸菌による発酵は、これらの食品に酸味を主体とした味や香りの変化を与えるとともに、乳酸によって食品のpHが酸性側に偏ることで、腐敗や食中毒の原因になる他の微生物の繁殖を抑えて食品の長期保存を可能にしている。
フェスティバル
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インターネット電話
ボブスレー
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法医学
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物理化学
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エレクトロニクス
スケートボード
エンジニアリング

一方、他の発酵食品の製造過程において、乳酸菌が雑菌として混入することが問題になることもある。ラクトバシラス属のL. fructivorans、L. hilgardii、L. paracasei、L. rhamnosusなど、アルコールに強い乳酸菌は、酒類の醸造、発酵中に混入・増殖すると、異臭・酸味を生じて酒の商品価値を失わせてしまう。

日本酒醸造の現場ではこれを火落ちまたは腐造と言い、これらの菌は「火落ち菌」として造り酒屋たちから恐れられている。また火落ちにより混入した乳酸菌によって醸造後に腐敗することを防止するための手法が経験的に編み出され行われている。これは、「火入れ」と呼ばれる低温殺菌法で、醸造した酒を65℃の温度で23秒間加熱すればこれらの菌を殺菌できる[2]。火入れは江戸時代頃から行われていた。

ワインにおいても同様に保存中に乳酸菌発酵によって異臭や酸味を生じることがあり、その原因を究明しようとしたルイ・パスツールの研究によって、食物が腐敗するメカニズムが解明され、またパスチャライゼーションと呼ばれる低温殺菌法の発明につながった。

2009年05月30日

ねねは正室であったが

ねねは正室であったが、子供に恵まれなかったので、一時秀吉に辛く当たられていた事があり、また秀吉の側室である淀殿とは激しい対立関係にあったという説がある。ただし、近年の田端泰子や跡部信らの研究により、二人はむしろ協調・連携した関係にあったことが分かってきている。

関ヶ原の戦いでも淀殿との対立関係から東軍(徳川家康率いる福島正則などのいわゆる武断派)のために動いたとするのが通説であったが、近年の研究では淀殿と連携して大津城の戦いでの講和交渉や戦後処理に動いたことが確認されている。また、逆に石田三成らと親しく関ヶ原の合戦時にも西軍寄りの姿勢を取っていた可能性を指摘する白川亨らの研究もある。その説の論拠として白川が挙げるのが次の事柄である。[2]

北政所周辺に西軍関係者が多い:三成の娘(辰姫)が養女になっている、側近の東殿は大谷吉継の母である、一説には小西行長の母マグダレナも側近である
西軍寄りと見られる行動を取っている:側近の孝蔵主が大津城開城の交渉にあたっている、甥である木下家の兄弟(小早川秀秋の兄弟)の多くが西軍として参加し領地を没収されている
東軍諸将との関係が薄い:『梵瞬日記』(『舜旧記』)に高台院の大阪退去から関ヶ原の戦いの数年後まで高台院と正則らが面会したという記録が無い)。

諱については従前から「ねね」と呼ばれてきたが、昭和期に入って日本史学者の桑田忠親が北政所の自筆消息(手紙)の自署が「ね」一文字であることを理由に彼女の名は本来は「ね」(通称では接頭辞「於(お)」をつけて「おね」)であり、「ねね」は「太閤記」などによる誤記であるという説を唱えた。これに対して女性名の研究者としても名高い角田文衛は以下のように反論した。
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当時の女性が自筆の消息に名の頭文字を1字だけ署名するのは普通に行われたことである。いわゆる細川ガラシャ夫人(明智たま)の消息の上書の署名には「た」1字が書かれており、徳川秀忠の正室・崇源院(名はごう)が姉の常高院に宛てた消息でも「五」と自署している。ゆえに自署が「ね」1字であることをもってそれが本名であると言い切ることはできない。
鎌倉時代から江戸時代にかけて調べうる限りでの女性名を集めたが、「ね」なる一字名はただの1人も存在していない。いっぽう「ねね」は鎌倉時代あたりから現れ、非常に頻繁に用いられる女性名である(同時代にも黒田長政継室、諏訪頼重室、前田利常室、南部直政室など複数見られる)。以上より、高台院の名は「ね」ではなく「ねね」の方が自然であろうと思われる。
ちなみにNHKの大河ドラマにおいては長年「ねね」が用いられてきたが、平成8年(1996年)の『秀吉』および平成14年(2002年)の『利家とまつ』では「おね」の呼称が使われた。平成18年(2006年)の『功名が辻』でも当初は「おね」が使われる予定だったが、原作(司馬遼太郎著)に忠実にするという理由で再び「ねね(実際は漢字表記の寧々)」に戻された。また2009年の『天地人』では北政所名義での登場とした上で「ねね」を実名として採用している(但しせりふの中に「おね」というシーンがある)。その一方で、同じNHKの『その時歴史が動いた』では現在も「おね」が使用されている。

2009年04月27日

籠城

籠城(ろうじょう)とは、城、砦、城市などの拠点に立てこもり、攻めてくる敵と戦うこと。攻城戦の守勢側の呼称。こうした戦闘を籠城戦という。

立てこもる城の構造や兵の士気にもよるが、守備側は攻撃側の数分の一の兵力でも拮抗できるため、極端な兵力差がある場合や、支城などで相手側を足止めする必要がある場合には有効な戦法である。また、長期戦になった場合には多勢である攻撃側の兵站確保が困難となり、撤退(事実上の敗戦)に追い込まれる場合もある。

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デメリット
数ヶ月?数年にわたる長期間の兵糧攻めを受けた場合には物資の欠乏や飢餓に陥り、城主の自決による開城などの結末を迎える場合も多い。こうした場合を想定して、古城には深井戸や食糧となる樹木を植え、籠城を意識した構造を採っているものも珍しくない。

籠城戦
十分な準備(防御設備、備蓄物資)をし、士気が高く適切な数の兵を有する城は、大軍をもってしても陥落させるのは非常に困難だった。

準備
食料、水、武器、消耗品その他の必需品を十分備蓄する。
城壁、堀、守備塔などを修繕、強化する。
防御するのに必要、十分な守備兵を集める。
主君や友好国に援軍を要請する。
基本的には受身であり、攻城側の戦法に応じた防衛を行う。また精神的に陰鬱になりがちなため士気を高める工夫が常に必要である。

火矢をかけられれば消火し、城壁が破損すれば臨時の補修や衝撃を弱めるための緩衝材となるものを設置する。敵が接近してくれば、矢、石弓、投石器などで攻撃し、攻城塔が接近してくれば、その破壊を試み、城壁をよじ登ってくれば、石や材木、高温の液体(糞尿、油、鉛)などを上から落とす。トンネルに対しては、城側からもトンネルを掘り、敵を追い払って埋め戻す。
城内の構造を複雑にし、武者隠しや落とし穴などを設置して、侵入した敵を罠にはめる。
城壁などを多層化し、外周の城壁や城門が突破されても内壁などによって本丸への敵軍の進入を防ぐ。
唯一能動的な戦法は、城から小部隊が突撃する奇襲、夜襲で、これは相手の隙を突いて城側が場所と時間を選ぶことができるため有効だった。小部隊のため敵に与える損害は限られており、戦局には大きな影響は及ぼさないが、攻城側に恐怖心を与え城側の士気を上げるのに役立ち、長期の籠城には欠かせなかった。しかし、突撃部隊が帰還する時に攻城側に付け入られる危険性があった。

2009年04月10日

クラリネット

クラリネットは、木管楽器の一種で、唄口に取り付けられた1枚の簧(リード)によって音を出す単簧(シングル・リード)の管楽器。略称は「Cl」「クラ」など。

18世紀の初め頃、ドイツ人のデンナー(Christian Denner 1655-1707)が、シャリュモー(仏:chalumeau)を改造して作成したのが始まりである。シャリュモーは、18世紀の後半頃までオーケストラに使用されていたフランスの古楽器で、シングルリードの円筒形木管楽器である。バス・クラリネット等音域の低いクラリネットは、その原型はアドルフ・サックスが考案したといわれる。

基本構造 [編集]
構造は吹口に近いほうからマウスピース(ベックとも=唄口)、バレル(=ビルネ・樽 アルト・クラリネットより低い音域のクラリネットではネック)、管体、ベル、となっている。管体は、ソプラノ・クラリネットより大型のものでは上部管(上管)と下部管(下管)に分割できるものが多く、これより小型のものでは一体型のものが多いが、これは可搬性を確保するためのものであり、必ずしも音色や音質、音程などの面で優れているわけではない。このため、ソプラノ・クラリネットでも一体型の管体を有するものが、少数派ではあるが存在する。全長のほとんどを占める管体の太さは、ほとんど一定である。これが、クラリネット独特の運指や音色を生む原因である(後述)。

クラリネットの名の付く楽器は多く、クラリネット属と総称する。それらは移調楽器で、それぞれ音域を変えるために管の長さを変えたものであり、運指などは殆ど同じである。

クラリネット属の楽器の基準形はソプラノ・クラリネットで、単にクラリネットと呼んだ場合には通常ソプラノ・クラリネットを指す。ソプラノ・クラリネットの調性は、変ロ(B♭)調が一般的であり、この他にイ(A)調のものがあり、オーケストラなどで多く使われる。変ロ調の楽器とイ調の楽器は唄口部分が共通であるために、演奏中の持ち替えではこの部分だけを差し替えることもある。作曲家によってはそれぞれの管の音色が違いにこだわって、B♭管の曲とA管の曲を書き分ける。たとえば2曲のクラリネット協奏曲を作曲したウェーバーの曲はすべてB♭管用である。しかしながら、単に音域や運指のしやすさでどちらの管を使うかを決める作曲家や演奏家もいる。

音域と音色 [編集]
(以下の説明文でイロハ音名での表記は記譜音を指す) クラリネットの音域は、記譜で中央ハ音の下のホから上に約4オクターブ弱である。

クラリネット属は楽器学上、現在の西洋音楽で用いられる中ではパンフルートと同様に閉管構造の楽器であり、長さが同じならば開管の管楽器よりも、最低音が1オクターブ低い。また、閉管であるために偶数次倍音が殆ど得られず、音波の波形は矩形をしており、独特の音色を持つ。

他の木管楽器では第2倍音である1オクターブ上の音に同じ、または似ている運指を使うことができるが、クラリネット属では第2倍音が使えないので、第3倍音の1オクターブと完全5度上の音に類似の運指を使う。すなわち、最低音のホですべての側孔を閉じ、ヘ-ト-イ-ロ-ハ-ニ-ホ-ヘ-ト-イと変ロまで順次開けて行き、1オクターブと完全5度上のロで再びすべての側孔を閉じる。このとき第3倍音を出しやすくするためにレジスター・キー(他の楽器でのオクターブ・キーに相当)の孔だけ開く。上のロの直下の変ロおよびイの音域は頭部の短い部分だけで共鳴するため、「喉の音」(スロート・トーン)と呼ばれ、あまり歓迎されない、他の音域とは異なる音色となる。(木管楽器#音の高さを変える方法も参照)

喉の音 [編集]
「喉の音」はブリッジ音域とも呼ばれ、これはデンナーがシャリュモーを改良した際に、基音列と第3倍音列の間を埋めるために2つのキー(十字形に交わっていることからクロス・キーと呼ばれる)を取り付けたために、このように呼ばれる。そのため、倍音に乏しく、暗くくすんだような音色になりがちである。標準の運指では、高音域と行き来する場合、たくさんの指を一度に動かす必要があり、また鳴動する管長が著しく変化するため呼気のコントロールが難しい。初心者にとって、喉の音の音質、そして喉の音を含むパッセージの運指や呼気のコントロールは、最初につまづく問題になる。

喉の音の克服法 [編集]
楽器の選定
標準の運指で喉の音が豊かに鳴る楽器を選定することが望ましい(とはいえ、楽器の他の側面のクオリティとの兼ね合いであって、熟達した奏者ならば必ずしも避ける必要はない)。
替え指
クラリネットの初心者用として非常によく用いられる教則本「クラリネット学習の為の合理的原則 基礎編」の中で、J. R. グルウサンはごく早い時期に喉の音と高音域とを行き来するための替え指を身につけるように著している。これは、運指をスムーズにするだけでなく、音色の向上にもつながる。

シャリュモー音域 [編集]
「喉の音」よりも低い音域はシャリュモー音域と言われ、甘美な音色で非常に愛される。この呼び名は、そのもととなったフランスの古楽器である前述のシャリュモーにちなむ。シャリュモー音域の下(低音域)は、太く、野性的な響きを併せ持ち、怪しげな雰囲気を出すことも可能である。

クラリオン音域とアルティッシモ音域 [編集]
「喉の音」よりも高い音域はクラリオン音域と言われる。シャリュモー音域の第3倍音に当たり、明るく開放的で、よく通る音色は金管楽器のクラリオンを彷彿させる。「小さな(接尾辞et)クラリオン(clarion)」という意味の「クラリネット(clarinet)」という名称もこの音色からきていると思われる。さらに、シャリュモー音域の3オクターブ上に当たる最高音域(アルティッシモ音域と言われる)があり、比較的細身で、極めて通りの良い音がするが、音程はとりにくく、音質は鋭い。

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2009年03月26日

心理学的なアスペクト

人間のセクシュアリティは、妊娠期間のあいだ、胎児の発達においてホルモンの変化の影響を受ける。多数意見では、セクシュアリティの表現様式は、大きく遺伝学的な素地に基づいていると主張する。別の意見は、セクシュアリティは、人それぞれ、その成長の初期段階での実地の個人的経験に基づき、このようにして性の好み・嗜好が決まると主張する。あまり分析的ではないアプローチでは、両方の要因が相互に役割を果たしているのだろうと認めている。人間性心理学とジェンダーでは、特定の形の性的表現が可能となる。

性機能障害は、人の性的機能が損傷を受けるような様々な生物学的状況や環境に言及している。このような障害の現れは、リビドーの減少、または遂行能力の限界の形式で起こることがありえる。男性・女性双方が、リビドーの後退の影響を被ることがありえ、その原因としては、ストレス、親密さの喪失、精神的な動揺が考えられ、また、その他の心理学的な状態から派生することがありえる。
モンブラ こまひ レイク モミジ プルライフ 月の海峡 しおじ コメン フォール ショートケー ティーホル メーカー オートメ わかた ビーフ イザヤ ロストル フリース エイグ ススキ ヒーロー チフス シーズ レード サルト マンパ サイトむい パクチー せりか ゲート ちこり メナム ション ストッキン オフス イソップ シュボド マップ ノンフ スツール ハイパー ドミノ タシケ コダチア プレス バウンス スーパー リコリス ハラム ウチク

性的遂行能力の限界は、勃起不全の形で、しばしば男性の性的能力に影響を及ぼすことがある。この原因としては、心血管疾病を含む、様々な形の疾病の病理からもたらされることがある。心血管疾病は、人体の様々な部位への血流の供給と共に、陰茎への血流の減少をもたらしえる。更に、大音量の音や過剰照明などに長時間曝されるような環境ストレッサーもまた、とりわけ暴露が慢性的である場合など、心臓血管の変化を導きえる。

社会的アスペクト [編集]
人間のセクシュアリティはまた、その行動に関する暗黙のルールで規制されるか、またそのままの状態で、人間の社会的生活の一部として理解できる。このようにして、セクシュアリティは社会のノルム(規範)に影響を及ぼし、また社会はそれに呼応して、セクシュアリティの表現可能性の様態に影響を及ぼすと、主張される。マスメディアの発明と発達によって、映画や宣伝などを通じて、セクシュアリティは、我々がそのうちで生きる環境のありように対し、より大きな決定力を有するようになったとさえ言える。ある人々は、セクシュアリティを(しばしば、ステレオタイプへと)純化され、その後、再度商業化された形態で表現されるものとして見ている。

性同一性(ジェンダー・アイデンティティ)は、個の社会環境によって影響される人間のセクシュアリティの位相(アスペクト)の一つである。異なる社会環境においては、人々がそれぞれの性と関連付ける固有の特性が存在しえるのであり、それは特定のタイプのドレスであったり、色彩、行動様式であったりする。西欧世界のメディアにおいて共通する実例は、青の半ズボンに白のTシャツを着て、玩具のトラックと遊ぶ小さな少年の描像でありえ、少女はというと、ピンクのドレスを着て、人形遊びをする姿で示される

2009年03月11日

オールド・ハバナ

オールド・ハバナ(ハバナ旧市街、スペイン語で、La Habana Vieja)は、キューバの首都・ハバナを構成する歴史地区である。オールド・ハバナと4つの要塞(フエルサ要塞、モロ要塞、ブンタ要塞、カバーニャ要塞)は、1982年に、「ハバナ旧市街とその要塞群」の名前で、ユネスコの世界遺産に登録された。

オールド・ハバナは、ハバナ湾に面した地区であり、1519年、スペイン人が建設を開始した。オールド・ハバナは、新世界で産出された財宝を積んだガレオン船の旧世界へ運び出されていく港の役割を果たし、17世紀には、造船の中心地となった。

オールド・ハバナは、バロック建築と新古典主義建築によって構成され、20世紀の後半には、多くの建物が廃墟と化したが、その後、いくらかの建物には再建がなされた。オールド・ハバナには細い道路が縦横に走り、おおよそ3000の建物が存在する。オールド・ハバナは、ハバナ港からプラサ・デ・アルマスにかけて形成されていった。

オールド・ハバナは、フランスの海賊であるジャック・ド・ソーレスに焼き討ちされた経験を持つ。そのことから、スペインは、ハバナ港の要塞化に着手した。1558年、バルトロメウ・サンチェスの手によって、フエルサ要塞が建設された。
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オールド・ハバナに残る4つの要塞は、それぞれ、フエルサ要塞(en:Castillo de la Real Fuerza)、モロ要塞(en:Morro Castle (fortress))、プンタ要塞(en:San Salvador de la Punta Fortress)、カバーニャ要塞(en:La Cabaña)と呼ぶ。

フエルサ要塞が1558年に建設された。建築の指揮には、バルトロメウ・サンチェスが行った。
その後、ハバナ湾の入口を防衛する要塞であるモロ要塞が建設された。モロ要塞は、イギリスの海賊であるフランシス・ドレークの攻撃を斥ける高さ20mの城壁を誇った。
カバーニャ要塞は、ハバナ湾の東側を防衛する要塞で、カルロス3世の命令により、1763年に建設が開始された要塞である。
プンタ要塞は、モロ要塞の対岸にある要塞で、1590年に建設が開始された。
ハバナ大聖堂(en:Cathedral of Havana)は、正式名称サン・クリストバル大聖堂と呼ばれるハバナを代表する大聖堂。1776年に完成し、バロック建築。高さが異なる2つの塔が特徴である。
ガルシーア・ロルカ劇場ともよばれるハバナ大劇場(en:Great Theater of Havana)は、キューバ国立バレエ団(en:Ballet Nacional de Cuba)が活動の拠点としている劇場であり、1837年に建設されたバロック建築。
カピトリオ(en:El Capitolio)は、1929年、アメリカ合衆国・ワシントンD.C.の連邦議会議事堂を模して作られたかつての国会議事堂である。1959年のキューバ革命まで、国会議事堂として使われた。
かつては、大統領の邸宅として利用された建物は現在、革命博物館(en:Museum of the Revolution)として、利用されている。

2009年02月23日

フランスがタヒチを海外領土として併合したのに伴い

1881年にフランスがタヒチを海外領土として併合したのに伴い、フランス人の到来とともにタヒチ社会にフランス文化の流入が始まり、タヒチ語やポリネシア文化が保っていた法制度や権威よりも優位に立つ言語や文化がもたらされた。それでも、一般大衆の間ではタヒチ語が生き残った。また、入植者によってもたらされた新しいものや考え方がタヒチ語固有の語として取り込まれた。やがて、タヒチ語は技術・文化面での革新に対応し、’ainati「インターネット利用者」や pehenē’i「CD」のように、外国語からの借用でなくしばしばタヒチ語独自の形でより現代的な概念を導入するようになった。
わっしょい ダード オフコ 検索村祭 コーヒー ビザウェー マンボン カイモ ハイス レザーク スパイ ナイジェ ループ ファンベト 私が主役 デイラ ストライカー キシング クアハ ワンシ ハイソ メタフ ツーロン ワイキキ デリカシー メモリ セッショ メタノール マイカ タチバナ ストレート リポート ジャンダ トメーシ オブシデ メダル サージ グリース シーモス ロビイング ドライブ ルレット シェンド ツイード スーサ クロス わっさむ レーキ ニーム トーチャー

フランス領ポリネシアの人々は、一部が一言語の話者ではあるが事実上の二言語使用者である。太平洋におけるフランスの植民地支配はかなりの影響力を持ち、人々が受ける基本教育に関してフランス語はポリネシア社会で大きな存在感を持つに至った。それでもタヒチ語は安定した話者人口を保っており、人口の78パーセントがポリネシア出身であることを考慮に入れると、40パーセントがタヒチ語の話者だと見積もられる[3]。

フランス領ポリネシアではそれぞれの諸島・島々に固有の言語があり、ソシエテ諸島ではそれがタヒチ語であるが、その各地域でフランス語が「リングア・フランカ」(標準語の権威を持つ言語)として通用する。「レオ・マーオヒ」をなす各々の言語の話者間の理解度は非常に低く、フランス語が各言語の話者の交流を容易にしていることは考慮しなければならない。また、フランス領ポリネシアで用いられるフランス語はもはやフランス語の方言にとどまらず、本国のフランス語とは別なものであることも強調しておくべきである。島々の住人がフランス語やタヒチ語の要素がより少ないピジン語の一種を話す場合すらある。

21世紀に入る前後から、特にフランス領ポリネシアで新憲法が施行された2004年以降は、ポリネシア民族主義派や独立派すらをも含む政治勢力の影響下にある行政が、タヒチ語の話者数と社会での使用を回復させようという努力を行っている。とは言え、他の古いフランスの植民地のようにフランス語が現地の言語の座を奪って唯一の言語になる状況は避けられたものの、フランス領ポリネシアでフランス語が獲得した勢力は大きく、人々の間に深く根付いている。実際タヒチ語は地域で権威のある言語としてフランス語に対抗することはできない。まして、フランス語を行政の公用語ならびに公共の業務に用いる言語とし、タヒチ語を「島が保存すべき文化遺産」と低く位置づける基本的な法がある状況ではなおさらである。

フランス語に対する立場の回復という方針のもと、フランス領ポリネシア政府は2004年より初等・中等教育で言語の集中教育の企画に取り組んでいる。授業に用いられる言語は法律上も慣習上もフランス語ではあるが、フランス領ポリネシアの社会生活でフランス語が唯一の公用語であるとする法の枠内にとどまらず、教育の各段階で児童や生徒にタヒチ語の授業を編成した[4]。

大学に関しては、「タヒチ語文献学」のような学位はないものの、フランス領ポリネシア大学でポリネシアの言語・文化に関連した高等教育が行われている。大学では、教育やジャーナリズムの専門家向けに、言語の知識や習熟度に応じた三つのレベルのタヒチ語講座を公式に開講している。このような言語政策がありながら、ポリネシア住民はタヒチ語を家族や友人、身近な集団に対して使うなど、その使用範囲は限られている。よってフランス語が公の場で用いられる権威のある言語にとどまっている。

マスコミに関しては、タヒチ語の存在感は明らかに増しており、タヒチ語のみで発行される新聞を数紙目にすることができる。ラジオ放送では様々な周波数でこの言語の放送を受信できる。ただしテレビでは、「タヒチ・ヌイ・テレビ」が開局しタヒチ語の存在感が増したものの、同局の番組は二言語またはタヒチ語のみのどちらかであり、その存在感は若干小さい。
Dictionnaire tahitien-français Fa’atoro parau tahiti-farāni. Pape’ete: Académie tahitienne - Fare Vāna’a, 1999
Grammaire de la langue tahitienne. Pape’ete: Académie Tahitienne - Fare Vāna’a, 1986
LEMAÎTRE, Y., Lexique du tahitien contemporain : tahitien-français, français-tahitien. Paris: Orstom, 1995 ISBN 2-7099-0228-1
MORAL, R. DEL, Diccionario Espasa - Lenguas del mundo Madrid: Espasa Calpe, 2002. ISBN 84-239-2475-0 DL M. 41.530-2001
PAIA, M.; VERNAUDON, J., Ia ora na, méthode d'initiation à la langue tahitienne. Paris: INALCO, éditions de la Bibliothèque publique d'information du Centre Georges Pompidou, 2000

2009年02月06日

オホーツク文化

オホーツク文化(オホーツクぶんか)は、3世紀から13世紀までオホーツク海沿岸を中心とする北海道北半、樺太、南千島の沿海部に栄えた古代文化である。この文化の遺跡が主としてオホーツク海の沿岸に分布していることから名付けられた。このうち、北海道に分布している遺跡の年代は5世紀から9世紀までと推定されている。
みかんいろ バリトン サーファ マスター ハンディー ニュルン すみのえ ロフルス タラップ ステン ハート フォロワー ダイヤ ディク ランド パーク カーブ シャト ラン トップ とうたい ジャン ルー メルク ニックス カレワ とうみょう ぶきいろい ディッシュ ラベル タオイズ ダイアモンド ショウ ベッド おじま ハイボー タイプライ 宇宙ステー ピンタック オートクチ ティンカー カラム モッコク ヤード きくらげ トータル ケトン ヒョウ メンバー チャンネル

海獣狩猟や漁労を中心とする生活を送っていたオホーツク文化の担い手を、オホーツク文化人、また単にオホーツク人とも呼ぶ。同時期の北海道にあった続縄文文化や擦文文化とは異質の文化である。

なお、トビニタイ文化をオホーツク文化に含めるかどうかについては、現在のところ意見が分かれている。トビニタイ文化は9世紀から13世紀まで北海道東部にあり、擦文文化の影響を受け、海岸から離れた内陸部にも展開した。両者の継続性を認めてオホーツク文化の一部にする考えと、生活の違いを重視してオホーツク文化に含めない考えとがある。本項では煩を避けるためトビニタイ文化を含めずに説明する。

オホーツク文化の発生地は樺太南西端と北海道北端で、土器の形式からは先行する鈴谷文化を継承している。そこから拡大して北海道ではオホーツク海沿岸を覆い、樺太の南半分を占めた。活動領域はさらに広く、オホーツク文化の痕跡は東は国後島、南は奥尻島、北は樺太全域に及んでいる。遺跡は海岸そばに限られ、内陸には存在しない。

9世紀に北海道北部では擦文文化の影響が強まり、オホーツク文化は消滅した。同じ頃、北海道東部ではオホーツク文化を継承しながら擦文文化の影響を受けたトビニタイ文化が成立した。樺太ではオホーツク文化がなお続き、アイヌ文化の進出によって消えたと考えられるが、その様相ははっきりしていない。

生活
オホーツク人は海に依存して暮らしており、北海道北部と樺太では漁業に、北海道東部では海獣狩猟に重点があった。流氷の影響を受ける道東が冬の漁業に適していなかったためと考えられている。秋にホッケ、冬にタラ、春にはニシンを、網を用いて大量に漁獲した。アザラシ、オットセイ、トド、アシカも冬に得られた。夏にはカサゴなど様々な魚を獲ったが、その量は冬より少なかった。遺物に描かれた絵や模型から、オホーツク人が舟を操り、捕鯨を行っていたこともわかっている。

豚と犬を飼い、どちらも食用にしていた。道東では豚飼育は低調だった。また、熊(ヒグマ)をはじめとして様々な動物を狩った。そこでは毛皮獣の比重が高く、交易用の毛皮を入手するための狩りと考えられている。

集落は海岸のそばに置かれた。住居は竪穴式で、何十人も収容できる大型の住居と、一つの核家族で暮らしたと思われる小型の住居があった。大規模住居は中心集落で見られる。オホーツク人は、秋から春までは中心集落に住んで共同で大規模な漁を営み、漁が低調になる夏には各地の海岸に分散したと考えられている。住居の一部に動物の骨を並べる風習があった。並べられた動物は様々だが、特に熊が重要視されていた。熊の重視は、道具類の意匠にも見られる特徴である。

道具としては、オホーツク式土器、石器、骨角器、木器がみられる。本州からの交易で入手した蕨手刀が副葬品として見つかっているが、実用品として普及するほどの数はなかったらしい。実用品の装飾に動物の意匠を用いたほか、牙や骨で作った動物や女性の像が作られた。

死者は基本的に屈葬された。しかし、目梨泊遺跡の人々は伸展葬の伝統を持ち続けた。

起源と末裔
オホーツク人の系統については、少ない文献と考古学的証拠をてがかりに古くから論議を呼んできた。現在のところ、大陸からの直接的な移住者が形成したものではなく、鈴谷式土器の時代(紀元前1世紀から紀元6世紀)から樺太に住んでいた人々の中から生まれた文化で、下って現在のニヴフ人につながるとする説が有力である。他に、靺鞨同仁文化のような大陸の文化や、古コリャーク文化、トカレフ文化のようなオホーツク海北岸の文化との類似性が指摘される。

オホーツク文化は、後期に擦文文化の要素を取り入れるようになった。トビニタイ文化の時代に擦文文化の要素はさらに強くなり、両方の文化要素の混在が見られるようになった。また、後のアイヌ文化の中には、熊の崇拝のようなオホーツク文化にあって擦文文化にない要素がある。そのため、この方面のオホーツク人は、擦文文化の担い手とともにアイヌ文化を形成したと考えられている。

2009年01月22日

慰安婦問題に関する第二次調査報告結果

8月4日 日本政府が「慰安婦問題に関する第二次調査報告結果」を公表。それに関連し、河野洋平内閣官房長官が旧日本軍の強制連行を認める「河野談話」を発表。 「慰安所設置等に旧軍が関与し、慰安婦の募集も本人の意思に反して集められた事例が数多かった」とし、慰安婦に対し、「心からお詫びと反省を申し上げる」と謝罪。談話発表後の記者会見で「強制連行の事実があったという認識か」との記者の質問に、「そういう事実があったと。(それで)結構です」と答えた。これを受けた韓国外務省は「全体として強制性を認め、被害者に謝罪と反省を表明し、今後の歴史の教訓としていく意思を表明したことを評価する」との声明を発表。
8月4日 NHK教育テレビジョンが『50年目の"従軍慰安婦"』を放映。元慰安婦らが共同生活している「ナヌムの家」を紹介し、日本の反省や償いについて論じる。
8月31日 村山富市首相が、談話「平和友好交流計画」に関する談話の中で 、「いわゆる従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います。」と謝罪。
シントニア タコス オイル マヤ吉 ケルン ミーハー ボタン たこいと デュアル アルル ライン アクサ ビー玉 ロコモコ ライフ テナー クチル トッププ ナズナ ロベニア シタニア キング ブルー レンド ハファダ シリア マリンホス タイトス リテール シラー カノープス きねづか ブダペ スノーグ チョウゲ フルタイ モミジ デブリ ブラッシ 深海魚 シルバー ビーテ トライ サイキック ブレッツ プルーフ すいか くもり ダッジ ミーア

高木健一ら、日本の弁護士3人がインドネシアの地元紙に「日本政府に対して補償を求める裁判のために元慰安婦は名乗り出て欲しい」という内容の広告を出す。
1994年 
「国際法律家委員会」(ICJ)が「慰安婦」報告書において、幼い少女たちを含む多数の女性たちが戦時中、日本の軍事施設に監禁されたのみならず、殴打や拷問を受け、繰り返し強姦されたと指摘。
5月3日 羽田内閣の永野茂門法務大臣が記者会見で「慰安婦は当時の公娼 であって、それを今の目から女性蔑視とか、韓国人差別 とかは言えない。」と述べたことが中国、韓国を初め、アジア諸国の激しい反発を招く。4日後、永野大臣は謝罪し、就任から僅か10日で引責辞任。
1995年
1月 『週刊新潮』(1995年1月5日号)が取材の結果、吉田清治の証言が事実無根である事が判明したとの記事を掲載。
1月24日 「日本弁護土連合会」が「従軍慰安婦問題に関する提言」を政府に提出。立法措置などにより、元慰安婦らに補償するよう求める。
7月19日 元慰安婦への償い金を民間から募ることなどを目的として、日本政府の主導で財団法人「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」が発足。
8月15日 社民党の村山富一首相(当時)が過去の日本の侵略戦争や植民地支配について公式に謝罪した村山談話を発表。
8月15日 「大東亜戦争」(アジア太平洋戦争)を総括する目的で自民党が1993年8月に立ち上げた「歴史・検討委員会」(委員長:山中貞則)が『大東亜戦争戦争の総括』(展転社)を出版。「『大東亜戦争』は、自存・自衛のアジア解放戦争であり、侵略戦争ではなかった」、「『南京大虐殺』や『従軍慰安婦』は事実ではない」、「加害・戦争犯罪はなかった」と総括。
8月22日 韓国で、元「慰安婦」および支援35団体が「民間基金構想撤回と被害者個人への謝罪と補償を求める共同声明」を発表。
11月22日 「国際法律家委員会」(ICJ)が、慰安婦被害者には個人補償請求権があるとする報告書を発表。
1996年
2月6日 スイスのジュネーヴで開かれた国際連合人権委員会にスリランカの著名な法律家であるラディカ・クマラスワミ(Radhika Coomara-swamy)が特別報告者として「女性への暴力特別報告」と題する報告書(通称:クマラスワミ報告書)を提出。この報告書は主に家庭内暴力についてであったが、付属文書で日本の慰安婦問題を取り上げ、「慰安婦」を「性的奴隷」と規定し、日本の行為を「『人道に対する罪』、奴隷制度を禁じた国際慣習法に違反する」と断定し、平和国民基金等で道徳的責任を果たしつつあることは評価しながらも、日本が法的責任を取って犠牲者に補償すること、公訴時効に関係なく責任者を処罰すること、さらに日本は教育課程にこの歴史的事実を含めることなどを勧告した(クマラ スワミ勧告)。[78]同年4月20日、「クマラスワミ報告書」は、評価基準は最下の"take note"[79](留意)ながらも全会一致で採択される。(「報告者の活動」に対する評価は"welcome"(歓迎)であった。)
5月29日付の『週刊新潮』でのインタビューで、吉田清治が『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』中の記述において、人間狩りをしたという主張は否定しなかったが、「人間狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と認める。
6月4日 自民党の奥野誠亮元法相が「従軍記者や従軍看護婦はいたが、『従軍』慰安婦はいない。商行為に参加した人たちだ。戦地で交通の便を(国や軍が)図っただろうが、強制連行はなかった」と発言。中国や韓国の政府から抗議を受ける。
6月4日 来日中の韓国人元慰安婦(73歳)が自民党の板垣正参院議員と面会。「一部の日本人が強制がなかったとか妄言を吐くので、胸の中がかきまわされる思いだ。私が発言しないとわからないのか、と名乗り出た」と訴える。対価としてお金をもらっていないとの元慰安婦の話しに板垣は「そういう例があったとはまったく信じられない。」と疑問を呈した。
6月末 橋本龍太郎首相が金泳三韓国大統領との首脳会談後、慰安婦間題を謝罪。
中学校用歴史教科書の7年度検定結果が発表され、教科書を発行する7社が一斉に「強制連行」の一環として「慰安婦」問題を掲載していることが明らかになる。
8月 雑誌『SAPIO』連載の『新・ゴーマニズム宣言』第24章で、小林よしのりが慰安婦問題を取り上げ、大きな反響を呼ぶ。

歴史教科書問題以降

6月 自民党の「終戦50周年国会議員連盟」を改組して結成された「明るい日本・国会議員連盟」(会長:奥野誠亮会長、事務局長:板垣正)が教科書問題をめぐり、慰安婦は公娼であったとの主張を展開。
9月22日 「日本を守る国民会議」が教科書からの「慰安婦」関連記述の削除を求めて、1カ月の全国縦断キャラバンを開始。
12月2日 藤岡信勝、西尾幹二、小林よしのり』、坂本多加雄、高橋史朗ら9名の呼びかけで「新しい歴史教科書をつくる会」が結成される。翌1997年1月30日、小杉隆文部大臣に教科書の慰安婦についての記述の削除を申し入れる。
1997年
1月3日 『朝まで生テレビ!』に出演した吉見義明教授は、「植民地での奴隷狩り的強制連行は確認されていない」こと、「挺身隊が慰安婦にさせられた例も確認されていない」ことを認める。
1月30日 慰安婦に関する調査を実施した平林博・内閣外政審議室室長は、参議院予算委員会において、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかったが、「総合的に判断した結果、一定の強制性がある」との判断で「河野談話」の表現になった旨を答弁。河野談話の根拠となった韓国の遺族会がまとめた元慰安婦の証言集に対する裏付けは取っていない旨を述べる。[32] 
2月27日 自民党の安倍晋三の主導で自民党の当選5回以下の議員を中心に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(事務局長:安倍晋三、幹事長:平沼赳夫、現・「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」)が結成される。
3月 韓国の中学校、高校用の国定歴史教科書に従軍慰安婦に関する記述が今学期から掲載される。中学校の教科書では、、「女性までも挺身隊という名でひいていかれ、日本軍の慰、安婦として犠牲にもなった。」、高等学校の教科書では、「女性たちまで挺身隊という名でひいていかれ、日本軍の慰安婦として犠牲にもなった。」と説明される。
3月9日 元内閣官房副長官の石原信雄が『産経新聞』のインタビューで、募集の文書や担当者の証言を初め、日本側のデーターには強制連行を裏付けるものはなかったことや、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるように強行に要請していた韓国政府に対し、「強制性を認めれば、問題は収まる」という判断で、元慰安婦らの証言だけで強制性を認めたという「河野談話」発表に至る経緯を明かす[58]。河野官房長官は、産経新聞のインタビューは断ったが、同年3月の朝日新聞のインタビューには応じた。[80]
3月10日 ジャーナリストの 櫻井よしこが『文藝春秋』4月号の「密約外交の代償」と題する論文で、加藤紘一元官房長官、石原信雄元官房副長官、谷野作太郎元外政審議室長などに対する直接取材の結果として、証拠に基づかずに、政治的判断て強制連行を認めた政府の外交を批判。
3月12日 参議院の予算委員会において、平林博外政審議室長は、「政府の発見した資料の中には強制連行を直接示す記述は見当たらなかったが、総合的な調査の結果についての総合判断により、一定の強制性を認めた」旨の答弁をする。[33]
河野洋平元官房長官が自身の講演会で、「女性を強制的に徴用しろといいますか、本人の意思のいかんにかかわらず連れてこい、というような命令書があったかといえば、そんなものは存在しなかった。調べた限りは存在しなかったということは申しあげていいと思うんです。『資料がなかった』ということは事実としてはっきりさせておかなければいけない」と語る[81]
3月31日 『朝日新聞』が2ページの慰安婦問題の特集記事を掲載。吉田証言に関し、「間も無くこの証言を疑問視する声が上がった。済州島の人たちからも氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田は『自分の体験をそのまま書いた』と話すが、『反論するつもりはない』として、関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる」と、これまでの主張を修正し、「吉田証言の真偽は確認できない」とした。河野洋平元官房副長官のインタビューも掲載。
5月 中学校教科書の慰安婦の記述削除を求める請願が各地の地方議会で相次ぐ。その問題に対して、「日本弁護士連合会」が「二度と過ちを犯さないため、事実を歴史教科書に記載して子供たちに伝えていくことが必要」と、請願を採択しないように地方議会に呼びかける声明を発表。
6月27日 1997年度用中学校社会科教科書の検定に合格した7冊すべてに慰安婦に関する記述があることが判明。
1998年
4月27日 元慰安婦3人と元挺身隊員7人の計10人の韓国人女性が日本政府に総額5億6400万円の損害賠償と公式謝罪を求めた訴訟(関釜裁判)で初の司法判断。山口地裁下関支部は請求の一部を事実認定し、河野談話の後、国会議員に賠償立法の義務が生じたとし、国の立法義務、立法の不作為を認め、国に対し、「慰安婦」一人あたり30万 円の支払いを命じる。河野談話が強制連行の証拠と認定される。しかし、控訴審(2001年3月29日、広島高裁)は、一審判決を破棄し、最高裁への慰安婦側の上告(2003年3月25日)も棄却され、最終的には慰安婦側の敗訴が確定)
4月28日 『産経新聞』(1998年4月28日付)が「主張」の欄で、「慰安婦訴訟 禍根を残した『河野談話』」との記事で、慰安婦側の訴えた認めた前日の判決を批判。裏づけとなる証拠がない「河野談話」を根拠に強制連行を認めたこと、河野談話によって、国会での立法義務が生じたとされたこと、戦後補償問題を清算した「日韓基本条約」締結との関係が不明確である点を批判。[59]
7月31日 小渕内閣の中川昭一は 農林水産大臣就任直後の記者会見で、「中学校の教科書に従軍慰安婦に関する記載があるのは疑問」、「強制連行があったかどうかは分からない」などと述べ、中国、韓国からの強い反発を受け、翌日、発言を撤回した。
8月 国連人権委員会差別防止・少数者保護小委員会で、アメリカのゲイ・マクドゥーガル国連人権委員会特別報告者の「武力紛争時における組織的強姦、性奴隷及び奴隷類似慣行に関する最終報告書」(「マクドゥーガル報告書」)が採択され、付属文書で、日本の慰安婦の制度は「奴隷制」であり、慰安所は「強姦収容所」、慰安婦は強姦、性暴力を受けた「性奴隷」であるとし、慰安婦の日本政府に対する賠償請求権を認め、政府、軍関係者、兵士個人も訴追し、裁くべきであるとした。これは人権小委員会の勧告としては採択されず。
8月 韓国で、「ナヌムの家」の隣に建てられた「日本軍慰安婦歴史館」がオープン。
8月4日 『読売新聞』が「『慰安婦』問題をもてあそぶな」と題した社説で、「わざわざ韓国の反発をそそのかしているような報道がある」、中川農相が発言を撤回したのは、「歴史を捏造していた一部マスコミが、捏造への反省も訂正もないまま、重ねて問題発言だとして騒いだからだ。」と『朝日新聞』を暗に批判する。
8月11日 読売新聞が「国連の権威損なう『慰安婦』報告」と題し、「慰安婦強制連行説」を捏造した者とそれを追認した「河野談話」を厳しく批判。
11月 月刊雑誌『諸君!』(1998年11月号)において、秦郁彦が吉田清治本人が自著をフィクションであることを認めたと述べる。
11月 改定版として出版された『広辞苑』第五巻(岩波書店)に、初めて「従軍慰安婦」の語が収録される。「日中戦争・太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となることを強いられた女性。多くは強制連行された朝鮮人女性。」と説明。
2000年
7月 中学校歴史教科書の検定申請本8種の内容が公開され、「慰安婦」についての記述が3社に減少することが判明。
12月8日から12日 東京で慰安婦制度など戦時中の旧日本軍による性暴力を裁こうと、VAWW-NETジャパンを初め、日本とアジアの非政府組織(NGO)が東京で民間の模擬法廷、「女性国際戦犯法廷」を開く。最終日には四人の裁判官が「性奴隷化を図った慰安婦制度は当時の国際法に違反する犯罪」とする判決を発表。
2001年
2月17日 元職員(女・43)からセクハラを告発されていた『ナヌムの家』の園長が、女性職員らとの性関係を認め、園長職から退き、僧籍を離れることを表明。[82]
3月1日 『読売新聞』は社説で慰安問題が捏造であると指摘。「特定マスコミが、戦時の勤労動員だった女子挺身隊を強制的な"慰安婦狩り"制度だったと歴史を捏造した結果、一時、日韓関係を極度に悪化させた。歴史を捏造してまで日本を比類のない悪の権化に貶めようなどというのは、「自虐史観」の極みである。中韓両国は、 こうした特定マスコミの報道に便乗して対日外交カードとするようなことがあってはなるまい」と主張。
5月8日 韓国政府が日本政府に対して中学校の「つくる会」の歴史教科書などに対し、記述修正を要求。
5月16日 中国政府が日本政府に対し、「つくる会」の歴史教科書教科書の8項目について記述修正を要求
7月9日 文部科学省が韓国・中国政府の修正要求に対して、「つくる会」歴史教科書に対する訂正は求めない方針を示す。
2002年
韓国女性省は、新学期から使用される中学2年と高校1年の歴史教科書の慰安婦関連の記述について「多数の女性を強制動員して、日本軍が駐屯するアジア各地に送り、慰安婦として非人間的な生活を強要した」などと、詳細且つ具体的な表現にする方針を発表、教育省に提案。[83]韓国女性省は「慰安婦が強制動員だったことと、性の奴隷としての生活を強いられたことを明確にする」、「慰安婦問題についてのビデオCDを教師向け教材として全国の中・高校に配布する」などの方針を示す。  
2月24日 立命館大学で開かれた「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム日本大会(朝日新聞社後援)において、韓国・ 慶南大学客員教授(社会学)の金貴玉(キム・ギオク)(40)が、朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度があったと発表。 
3月28日 在日韓国人で唯一元慰安婦であると名乗り出た宋神道(80)が日本政府を相手取り、謝罪と補償を求めていた訴訟で、最高裁第二小法廷(北川弘治裁判長)は宋側の上告を棄却し、宋の敗訴が確定。
アメリカとイギリスで田中ユキという正体不詳の著者による”Japan's Comfort Women”(日本の慰安婦)という英文の書が出版される。400人を超える女性への聞き取り調査に言及。
2003年
3月25日 「関釜裁判」の上告が棄却され、慰安婦側の敗訴が確定。 
2004年
9月2日 「過去史真相究明論争」をテーマにした「MBC100分討論」において、ソウル大学の李栄薫教授(経済学部)が、慰安婦を売春業になぞらえたかのような発言をしたことに対し、インターネット上で抗議が殺到し、「韓国挺身隊問題対策協議会」が教授職辞任を要求する声明書を出す。同年9月6日、李教授は「ナヌムの家」を訪問し、元慰安婦らに謝罪。
11月27日 中山成彬文部科学省大臣[84]が大分県別府市でのタウンミーティングの席上で、歴史教科書について「極めて自虐的で、やっと最近、いわゆる従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当に良かった」と述べたことが、反発を招く。
『親日派のための弁明』の著者、金完燮が7年前に19万部のベストセラーとなった『娼婦論』に慰安婦制度を肯定する最終章を加えた日本版『娼婦論』(日本文芸社刊)を出版。韓国の女性団体が主張する「日本軍用女性奴隷」という用語は、「日本の国家的イメージを失墜させようとする意図が見え隠れする」と指摘、「慰安婦制度は戦場となった住民の安全を守るために必要不可欠だった」と肯定、「韓国の教科書で教える10万とも20万とも言われる女性が連行されたとする内容も情報操作された数字だ」とした。
12月3日 細田博之内閣官房長官が民主党の岡崎トミ子副代表(当時)の求めで、衆院第2議員会館において、閣僚として初めて元慰安婦(韓国人の李容珠(75)とフィリピン人のベアトリス・トゥアソン)と非公開に面談。「(慰安婦問題)は父親の世代の罪。心から反省し、おわびする」と謝罪。
2005年
3月27日 安倍晋三自民党幹事長代理が講演会で、「従軍慰安婦は作られた話」と述べる。[85]。
4月 中学歴史教科書では、「慰安婦」の記載は申請段階で1社となる。
6月 中山文科相が「従軍慰安婦という言葉はその当時なかった」と発言したことが、韓国などから反発を招く。
8月10日 第二次世界大戦終結60周年世界60都市同時集会・デモが東京、ソウル、マニラ、サンフランシスコなどで日本政府や在外公館に対する集会やデモとして取り組まれた。日本政府に対し、国連勧告に従い元「慰安婦」への賠償を訴える。
「アムネスティ・インターナショナル」が、第二次世界大戦終結から60年を迎える直前のこの日の「水曜デモ」を機に、慰安婦とその支援者らに賛同することを発表

2009年01月15日

ベンゾジアゼピン (benzodiazepine)


バゲット クス ポイント ヌガー ソリッド 一石二鳥 ミックス ランウエー アヨーチン ブルペン ステーク ドンファン フィル 検索クワ ギガス おじまじ タンポン カレンシー ぼうふう トリグ シャーマン シシャパ キトサン タウリン フィー リーキ シシカバブ バーガー モダンアート セントラ ヒンドゥー フレッ サイゴン 王様検索 フルネュ ナロー ひみつり オーバ カーフェリ サーベイ レジェンド サー油 マイタ かぶらや デミタ ラジエ スター ダンサー テンキー イニング
ベンゾジアゼピン (benzodiazepine) は、ベンゼン環・ジアゼピン環・アリール環から構成される、脳の中枢神経のGABA受容体の作用を亢進し、中枢神経の信号の流れを抑制する事によって、不安や興奮などを抑制する働きを持つ物質である。不安や興奮を抑制することで眠気を誘うため不眠の薬としても利用される。

このベンゾジアゼピン受容作用を利用した薬をベンゾジアゼピン系と総称し、主に睡眠薬や抗不安薬(マイナートランキライザー)に利用されている。またベンゾジアゼピンが作用する部位によって中枢神経への影響も微妙に異なっており、抑鬱状態の改善や痙攣発作の軽減を行う物質もあるため、抗うつ薬や抗てんかん薬として使われるケースもある。

1960年代頃から使われ始め、バルビツール酸系薬剤に比べ、耐性が出来にくい、毒性が低く比較的安全であるといった特徴が有るため不眠や不安などの軽減用の薬として広く使われている。

ベンゾジアゼピン系は比較的安全と言われているが、アルコールとの併用は奨められておらず、ベンゾジアゼピン受容体の作用で一種の健忘を引き起こす副作用がある薬剤もある。アルコール併用や大量摂取時、高齢者には、逆に不安・易刺激性などが出現することもある(奇異反応、paradoxical reaction)。また長期の服用で依存や離脱症状を起こす場合があるため注意が必要である。
中枢神経系では神経伝達物質として、アミノ酸が多く分布している。主な神経作用性のアミノ酸としては興奮アミノ酸であるグルタミン酸、抑制アミノ酸であるGABAが有名である。グルタミン酸受容体(ナトリウム、カルシウムイオンチャネル)としてはイオンチャネル型受容体であるAMPA受容体、NMDA受容体、カイニン酸受容体がよく知られており、代謝型グルタミン酸受容体としてはmGluRが知られている。GABA受容体ではイオンチャネル型であるGABAA受容体(クロールイオンチャネル)とGタンパク共役型受容体であるGABAB受容体が知られている。

GABAA受容体にはリガンドであるGABA結合部位の他にバルビツール酸系結合部位、ベンゾジアゼピン結合部位、糖質コルチコイド結合部位、ペニシリン結合部位、フロセミド結合部位、フルマゼニル結合部位が知られており、GABAとの反応性の調節を行っている(ペニシリンはGABAアンタゴニストのように振舞うのはこのためである)。

ベンゾジアゼピン系はGABAA受容体と結合するとチャネルの開口頻度を増加させる。バルビツレートと異なり、開口時間を延長せず、高用量負荷してもアゴニスト活性をもたない。その点でバルビツレートよりも安全性が高いと考えられ、抗不安薬、睡眠薬、抗てんかん薬、筋弛緩薬として使用される。ベンゾジアゼピンがクロールチャネルの開口頻度をあげるメカニズムとしてはGABAとGABAA受容体との結合親和性を高めるためと考えられている。言い換えると、GABAの濃度―作用曲線を左にシフトすることとなる。

GABAA受容体の主な作動薬といえばバルビツレートとベンゾジアゼピンであるが、バルビツレートはGABAの最大効力をあげるのに対してベンゾジアゼピンは用量効力をあげると考えられている。

ベンゾジアゼピン受容体には3つのサブタイプが知られている。それは中枢性のω1,ω2および末梢性のω3である。殆どのベンゾジアセピンがω1,ω2を区別しない。ω1が鎮静に関わり、ω2が認知、記憶、運動機能に関与すると考えられているが明らかになっていない。完全アゴニストがベンゾジアゼピン受容体の占有率に応じて、抗不安、抗けいれん、鎮静、健忘、運動失調、筋弛緩の順に発現すると考えられ、副作用が選択に出現しない部分アゴニストの開発が急がれていた。その結果、ゾピクロン(アモバン)やゾルピデム(マイスリー)といった非ベンゾジアゼピン系睡眠薬が開発された。これらはω1には作用するものの、ω2には作用しないため鎮静作用が殆どで、抗不安作用、抗けいれん作用、筋弛緩作用は弱くなっている。反跳性不眠や依存性もほぼなく、離脱症状も生じないため安全性がかなり高い。ベンゾジアゼピンの拮抗薬としてはフルマゼニル(アキネトン)が有名である。インバースアゴニスト(受容体の基礎活性を抑制する)としてはプロプラノールやアトロピンが知られている。

主なベンゾジアゼピンの臨床適応
名称 適応 作用時間
ミダゾラム 麻酔前投与、静脈全身麻酔 短時間作用型(3?8時間)
クロラゼプ酸 不安障害 短時間作用型(3?8時間)
アルプラゾラム 不安障害、恐怖症 中間作用型(10?20時間)
ロラゼパム 不安障害、てんかん重積、静脈全身麻酔 中間作用型(10?20時間)
ジアゼパム 不安障害、てんかん重積、筋弛緩、静脈全身麻酔、アルコール離脱 長時間作用型(1?3日)
トリアゾラム 不眠 短時間作用型(3?8時間)
エスタゾラム 不眠 中間作用型(10?20時間)
フルラゼパム 不眠 長時間作用型(1?3日)
クアゼパム 不眠 長時間作用型(1?3日)

全てのベンゾジアゼピンは鎮静作用をもっているが効果の出現時間、作用時間などが異なっており臨床適応はかわってくる。

主なベンゾジアゼピン系抗不安薬
ジアゼパム(商品名:セルシン、ホリゾン)最も標準的なベンゾジアゼピン類薬物である。
アルプラゾラム(商品名:ソラナックス、コンスタン)
ロフラゼプ酸エチル(商品名:メイラックス)
ロラゼパム(商品名:ワイパックス、アズロゲン)
ブロマゼパム(商品名:セニラン、レキソタン)
クロナゼパム(商品名:リボトリール、ランドセン)(抗てんかん薬)
フルトプラゼパム(商品名:レスタス)

主なベンゾジアゼピン系睡眠薬
超短期作用型
トリアゾラム(商品名:ハルシオンなど)
短時間作用型
ブロチゾラム(商品名:レンドルミンなど)
ロルメタゼパム(商品名:エバミール、ロラメット)
短-中時間作用型
中時間作用型
ニトラゼパム (商品名 : ベンザリン、ネルボンなど) 最初のベンゾジアゼピン系催眠薬である。
フルニトラゼパム(商品名:サイレース、ロヒプノールなど)
ニメタゼパム(商品名:エリミン)
エスタゾラム(商品名:ユーロジン)
クアゼパム(商品名:ドラール)
長時間作用型
フルラゼパム(商品名:ダルメート、ベノジール)