ねねは正室であったが、子供に恵まれなかったので、一時秀吉に辛く当たられていた事があり、また秀吉の側室である淀殿とは激しい対立関係にあったという説がある。ただし、近年の田端泰子や跡部信らの研究により、二人はむしろ協調・連携した関係にあったことが分かってきている。
関ヶ原の戦いでも淀殿との対立関係から東軍(徳川家康率いる福島正則などのいわゆる武断派)のために動いたとするのが通説であったが、近年の研究では淀殿と連携して大津城の戦いでの講和交渉や戦後処理に動いたことが確認されている。また、逆に石田三成らと親しく関ヶ原の合戦時にも西軍寄りの姿勢を取っていた可能性を指摘する白川亨らの研究もある。その説の論拠として白川が挙げるのが次の事柄である。[2]
北政所周辺に西軍関係者が多い:三成の娘(辰姫)が養女になっている、側近の東殿は大谷吉継の母である、一説には小西行長の母マグダレナも側近である
西軍寄りと見られる行動を取っている:側近の孝蔵主が大津城開城の交渉にあたっている、甥である木下家の兄弟(小早川秀秋の兄弟)の多くが西軍として参加し領地を没収されている
東軍諸将との関係が薄い:『梵瞬日記』(『舜旧記』)に高台院の大阪退去から関ヶ原の戦いの数年後まで高台院と正則らが面会したという記録が無い)。
諱については従前から「ねね」と呼ばれてきたが、昭和期に入って日本史学者の桑田忠親が北政所の自筆消息(手紙)の自署が「ね」一文字であることを理由に彼女の名は本来は「ね」(通称では接頭辞「於(お)」をつけて「おね」)であり、「ねね」は「太閤記」などによる誤記であるという説を唱えた。これに対して女性名の研究者としても名高い角田文衛は以下のように反論した。
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当時の女性が自筆の消息に名の頭文字を1字だけ署名するのは普通に行われたことである。いわゆる細川ガラシャ夫人(明智たま)の消息の上書の署名には「た」1字が書かれており、徳川秀忠の正室・崇源院(名はごう)が姉の常高院に宛てた消息でも「五」と自署している。ゆえに自署が「ね」1字であることをもってそれが本名であると言い切ることはできない。
鎌倉時代から江戸時代にかけて調べうる限りでの女性名を集めたが、「ね」なる一字名はただの1人も存在していない。いっぽう「ねね」は鎌倉時代あたりから現れ、非常に頻繁に用いられる女性名である(同時代にも黒田長政継室、諏訪頼重室、前田利常室、南部直政室など複数見られる)。以上より、高台院の名は「ね」ではなく「ねね」の方が自然であろうと思われる。
ちなみにNHKの大河ドラマにおいては長年「ねね」が用いられてきたが、平成8年(1996年)の『秀吉』および平成14年(2002年)の『利家とまつ』では「おね」の呼称が使われた。平成18年(2006年)の『功名が辻』でも当初は「おね」が使われる予定だったが、原作(司馬遼太郎著)に忠実にするという理由で再び「ねね(実際は漢字表記の寧々)」に戻された。また2009年の『天地人』では北政所名義での登場とした上で「ねね」を実名として採用している(但しせりふの中に「おね」というシーンがある)。その一方で、同じNHKの『その時歴史が動いた』では現在も「おね」が使用されている。